雲を食べたことはあるか
古代エジプトの人達は、太陽が出てくるちょっと前に空にシリウスが浮かぶ頃、「あ、ナイル川氾濫する時期だね、豊作豊作」ってなっていたらしい。
それと同じくらい、私にとって空は身近で大切なもの。あと、エモい。
(わたしの大学の空と雲↑)
雲を食べたことはあるだろうか。
わたしは5歳の頃、食べた。
「ピーマンってなんで緑色なの?」「アサガオの葉の裏ってなんでサクサクって音がするの?」「まだ朝?もう昼じゃないの?昼は何?」
小さい頃から「なんで?」が多い子だった。普通そんな事子供に聞かれたら、イラっとすると思うのだが、わたしの親は全て教えてくれた。
そんなリトル鈴木杏奈が、ある日抱いた「なんで?」がある。それが、
「雲って、美味しいの?」
白くてフワフワしていて、甘そうで、綿あめみたい。って考えた事がある人は多いと思う。
そんな時、父はすぐに答えを教えてくれた。
「食べに行こうか」
岐阜県の乗鞍まで旅に出た。「上高地」とも言われている。北アルプスの山々が連なっていて、景色は美しく、空気も美味しい。
雲を食べるにはうってつけの場所。
上高地は素敵な場所。ていうか虫が多かった。顔に蜘蛛が落ちてきたんだけど。
食べたいものはそれではない。
上高地でのトレッキングを楽しんだ後は、いよいよ雲を食べるドライブをすることに。
車(当時はデリカ)は乗鞍スカイラインをぐんぐん登っていく。昔からドライブが好きだったし、今も車や電車から見る景色が好きなのは、これのおかげ。
そうしているうちに、すごく高いところまで来た。外は真っ白。風が吹きまくっている。
「降りるで!」
「はーい!」と返事しながら車を降りると、父が肩車をしてくれた。
いや、風が顔に当たりまくってるんですけど。
「口をあけろーーーー!!!!」
父の威勢のいい声に次いで、わたしは大きく口を開けた。
空気が、水蒸気が、思ったよりも透明な何かが、口の中に勢いよく入ってきた。
両親は昔から、経験をもって学ばせてくれる人達で、わたしが人よりも好奇心が旺盛で、目がキラキラしてしまいがちなのは、その賜物なのである。
少し危ない事をしようとしても、「やってみろ」って言ってくれる。きっとドキドキしてるはずなのに。
そんな危なっかしいわたしも、もうハタチ。
そういえば最近、「なんで?」が減ったように思う。
「なんで?」が浮かばないのだ。
年をとるにつれて、「なんで?」の対象が減ってしまう、とかそういう訳じゃなくて、純粋に、考える事をやめてしまっているからだと思う。
もう一度、雲を食べに行こうと思っている。今度は自分の足で。
「なんで?」を探しにいかないと、何も始まらないし、もう「なんで?」を与えてもらえるような立場でもない。
雲を食べて以来、空が好きになった。
ピンク色の夕焼け雲を見つけたら「春だなあ」って思うし、真っ青な空と入道雲を見つけたら「夏だなあ」って思うし、空が高くてうろこ雲を見つけたら「秋だなあ」って思うし、くすんだ色をした雲を見つけたら「冬だなあ」って思う。
今いちばん好きなのは、ひこうき雲。
あれだけはまっすぐで、裏切らない。どことなく安心する。ひこうき雲が綺麗に見える場所が、好き。
わたしの「なんで?」は宝物。
緑色のピーマンを家で育てた事で、ピーマンを美味しく食べられるようになった。
アサガオの葉の裏のサクサクは、小学校の夏休みの観察日記に花マルをもたらした。
お休みの日は、お昼の散歩をするのが好きになった。
甘くてフワフワで、ずっと忘れない、
あの時食べた雲は、
美味しかった。
「それわかる!」とか、「これどう思う?」とか、「長い」とか、思ったことがあれば、ぜひ教えてください!