じぶん調整期間、はじめます
今週は、(勝手に)じぶん調整期間な1週間でした。
大好きなSuchmosのライブに行ったり、スナックすずきをやったり、自分の好きな事だけたくさんやりました。
言葉を選んだり、人との距離感を考えるのが苦手な私にとっては、周りの人達との人間関係にしんどさを感じてしまうことが多くて。
今はアルバイトのおかげで少しずつコミュニケーション力もついてきたから、違和感は無くなったかも知れないけれど、頑張り続けるのって難しい。
聞き上手になるための練習をしすぎて、自分と向き合うのをサボってたように思います。キャパも超えてたな。
なんでも請け負ってしまうし、整理整頓が出来ないし、頭の中はいろんな事で散らかっています。
これからしばらく、春になるまで、じぶんの調整に力を入れようと思います。
まずは今やっている事を少しずつ削りたい。
それから、会いたい人に会いに行って、自分がやりたい事をもっとたくさんやって、温泉に行ったり、のんびり景色を見たり、じぶん優先で過ごそうと思います。
もしかしたら、みんなのお誘いを断るかもしれないし、自分だけ好きな事をするかもしれません。頼まれても断るかも知れません。
怠けているわけじゃなくて、みんなが普通にしている事は、わたしにとっては頑張らなきゃ出来ないものだから。ちょっと考える時間をください。
ゆっくり気長に、やります。じぶんのペースは大事に。
HEISEIラストサマー、夜
21歳の夏真っ盛り。
お盆が過ぎてから、結構すぐ気持ちいい風が吹くようになってきた。
この夏、基本的に日中は寝て過ごしていたので、わたしの生活は基本的に夜型だったと思う。ほとんどどこにも行かなかったし、特別なこともしなかった。夏らしい事をしようとは思うけれど、どうしても苦手。
夏は毎年決まって少し燻る。
長いお休みは何をしていいか分からないから、苦手。中途半端になってしまうから苦手。
ヤケクソになっちゃって、色々なことに手を出しちゃって、まあまあ迷惑をかけてしまう。ざわついちゃうのかな。
夏らしい事をしたいし、やっぱり花火かなと。この場合は、質より量のオトナな線香花火スタイル(7本使用) 好きな人とする花火は格別。
毎晩のように思うけど、夜は素敵だと思う。
誰かと夢を語り合ったり、自分のことを振り返ってみたり、お昼にはできない事があると思うから。
時々、会いたい人に会えるし、素敵。
会えない夜も、それはそれでいいのかもしれない。
夏、終わらなかったらよかったのにな。
そう振り返る秋真っ只中の夜でした。
アルバイト談義
なんでみんなアルバイトしてるのかなって思って。
みんなそれぞれ、お金もらってる訳だけどさ、何に対してお金が支払われてるのかな。
だいたいみんな、お金を稼ぐために働いてるわけでしょ。お金ないと美味しいものも食べれないし、楽しいこともできないし、好きな事に対して投資することもできないもの。
だから働くというか、アルバイトするわけですけれども。
お金を貰えているのは、時間に対して?サービスに対して?存在に対して? これってきっと働いてる場所によって価値観が違ってくる部分だと思うから本当はつっこんじゃいけないところかな〜とは思うわけですけど。
「まだまだ未熟やな」&「そもそもアンタも出来てないやん」があるのは重々承知していることを前提として書いていきます。
この前、「こちとら時間を売ってお金貰ってるのに、時給が発生しない"5分前"の行動をする意味がわからない」みたいな感じの事言ってる子がいて、そこからすごく考えさせられた。
「時間を売ってるからお金貰ってる」っていう考え方にショックを受けた自分がいた。
わたしは普段、1時間くらい前にバイト先に着いて、服を着替えて、髪の毛も巻いて、メイクも直して、それでやっと働ける状態になってる。
少しでも可愛い方が、わたしもお客さんも気持ちがいいし、少しでも良くなる。
確かにこの準備時間に時給が発生する事は無い(当たり前だけど)けれど、この準備時間が、あとあとの自分の働き方に繋がってくる訳だから、私にとってすごく大切な事。
お客さんからも、いつもたくさんの事を教えてもらえるから、毎日振り返ってみると本当に役立つ事ばかりなんだよな〜って。
「自分ってなんでバイトしてるんだろう」って考えた時期があった。
理由ってひとつだけじゃないのはもちろんの事なんだけれど、1番は、「社会勉強したかったから」
毎晩色んなお客さんが来店されて、それぞれ悩んでる事だったり、今やってる事だったり、お仕事の話だったり、色んな話を聴かせてくれる。子供のわたしにとっては、まだまだ知らない世界ばかりで、たくさん発見があってすごく楽しい。
「たくさん勉強したい事がある」って話したら、それ以上にたくさんの事をアドバイスしてくれる大人の人たちがいて、すごく嬉しい。
まだまだ出来ない事ばかりだから、お店にも迷惑かけたりすることもあるし、役に立てない事もあるし、キャパ超えちゃってどうにもならない事があるけれど、本当にいっぱい学ばせて貰ってます。
もっともっとお客さんに楽しんでもらいたいし、いっぱい学ばせて貰えてるとはいえ、全体の1%くらいしか理解できてないだろうし。頑張りたい。
働くって、マジでお金だけじゃないと思う。
「5分前行動とかを推してくるのはグローバルじゃない」みたいな考え方も世の中にはたくさん溢れてると思うけれど、それ以前に、「時間売ったらお金貰って当たり前」みたいな考え方こそグローバルじゃないと思うな。
いろんなきっかけ、いろんな準備、それぞれの段階を踏むからこそ初めて誰かの目に触れる事が出てくるんだろうし、初めて「評価されてもおかしくない対象」になり得るんじゃなかろうか。あとは、ルールを作らなきゃいけないかも。
誰かと繋がる、誰かに喜んでもらう、そういう事が本当に大切に出来ないと、グローバルな世界って作り得ないと思うし、みんながハッピーになれなかったら結果としてあんまり意味はないと思う。
ていうか、時間に対してお金が支払われるような仕事ってなかなか難しいしハードだと思うな。
働く事で貰えるお金は、きっと時間への対価だけじゃないし、本人への評価だと思うから、どんどん準備したらいいと思う。ダラダラするのはよくないけど!!!
今病気してるから、バイトも学校もお休みもらってるんだけど、わたしが戻ってくるのを待っててくれる人がいる事に気づけました。なんかそういうの嬉しくって、見ててくれる人がいるのが幸せで、涙ちょちょぎれました。
大切な友達がたくさんいる学校も、素敵な先輩と優しいお客さんがいるバイトも、早く復帰したいもんです。
なんかそんな感じ!以上!解散!
これはすっごく嬉しかった日の写真!バイト先にて。
「それわかる!」とか、「これどう思う?」とか、「長い」とか、思ったことがあれば、ぜひ教えてください!最後まで読んでくださって、ありがとうございます!
雨
雨
雨
ペトロールズを知ったのは1年ほど前の事だったんだけど、昨日たまたま聴いてて「ヤバ」ってなっちゃった。
ペトロールズの「雨」っていう曲があるんだけど、Suchmosがカバーした曲を聴いて、そしたらもう、胸がぎゅっと締め付けられちゃって、朝のアラームが鳴るまでずっと再生してた。
たまたま「雨」をテーマにした写真集を授業で作ってたのもあって、この曲はすごくリンクしたというか、腑に落ちたというか、スッと心に入ってきたんだ〜。
この曲聴いてたら、本当に会いたい人の顔とか表情とか仕草とかそういうの浮かんで来ちゃって、だけどこんな夜だからもう会えないなあって気づいて切なくなってしまって〜みたいな感じになってしまった。なんせ音が気持ちいい、声が気持ちいい、歌詞が気持ちいい。
雨って凄く濡れるし、荷物が増えるし、ちょっとめんどくさいし、邪魔くさい。しかも雨が降ると、花は散って、鳥さんはどこかに逃げちゃう。寂しい。
だけど雨が降ると、水たまりができて、色んな傘が開いて、ベンチが水玉模様になって、壁は濡れると色が変わる。
「雨だね」「風邪ひかないでね」「傘貸そうか?」みたいな温かいセリフに出会える。雨ガッパ着て自転車に乗ったドラえもんみたいな人たちにも出会える。
雨が降るからこそ、人の気持ちとか生活感とか持っているものとか、周りの花とか生き物とかに色味が増すんだなあ〜って思える事が多くて。
だからわたしは雨が嫌いじゃないって、そういう事が言いたいんです。
みんなも聴いてみて。チェキラ。
とってもベタな2018年の目標
あけましておめでとうございます。
地球が回っているから、年を越せたと思うし、周りのみんながいてくれるから2018年がやってきたと思う。
いとこのお兄ちゃんがくれるお年玉には毎年誰かの似顔絵が描いてあるのだが、今年はコシノジュンコだった。(ちなみに妹は草間彌生)
お正月は20年連続、自宅で静かに過ごすのが私の大好きなお正月。友達と会うこともないし、ただひたすらにのんびり過ごす。
2018年になったからって、単純に地球が回っているだけだし、どこかのお偉いさんが考えた暦がたまたま2018年も続いてるわけだし、何気ない毎日の一部。だけどなんでか、おめでたい。
「今年の目標は〜」って毎年のように言っちゃうんだけど、結局大晦日になってfacebookとか読み返してみると、案外実行できてないんだなあって感じる。言ったはいいけど生きてるうちにやりたいことなんてコロコロ変わっちゃうじゃないか。
だからもう目標なんて決めないことにした!...って言ったらそれはそれで怠けてしまうでしょ。それは良くない、微妙だよなあ。
で、2018年をどう生きたいか、何を大切にしたいかを考えたんだけど、今年は、分厚く生きていたいし、自分の持っている歴史観だとか、文化に対する関心とか感じ方とかを大切にしていけたらいいなあ。
これまでは、多かれ少なかれ本当にたくさんのことを経験させてもらえたなあって思っていて、一方で、「広く浅く」っていう生き方が目立ってきていた。たくさんの点が線として繋がる体験は多いのだけれど、そこに厚みがないし、深みがない。
今年はもっと深く潜りたい、分厚い人になりたい。情が厚い、って意味でもね。
昔からずっと、音楽だけでなく、気になったことをディグるのが好きだし、だからこそ、学んだことがたくさんあった。自分としての価値観、考え方、受け入れ方が少しだけ形成され始めているかもしれない。自分をもっと大事にして生きたいなあと思う。
結局年が明けたら、誰だって目標とか色々言っちゃいたくなるんだと思う、人間は。
新しいノートが使いたくて仕方ないのと同じだと思うし、人間やっぱ新しいものが好きなのかもしれないなあと思う。
そうじゃない人がいるのも当たり前でさ。
だけど、周りの環境や技術がどれだけ新しくなっても、私たちの根本にある考え方は変わらないし、思い出は完全に消えたりしない。どれだけ新しい表現技法が出ても、細胞周期で体内環境が更新されたとしても、私たちの精神世界とかは失われたりしない。
自分が持ってるもの無くしたりせずに、自分なりにこの一年も過ごしていきたいと思うなあ。
今年も楽しく、好き嫌いせず、やれたらいいなあ。ワクワクできたらいいなあ。
2018年もどうぞよろしくお願いします。
いい夕日撮れたよ。
「それわかる!」とか、「これどう思う?」とか、「長い」とか、思ったことがあれば、ぜひ教えてください!最後まで読んでくださって、ありがとうございます!
悪女になりたい、みたいな。
友達のお母さんに「悪女!」って言われたんだけど、どうやら褒めてくれていたらしくて。
性格が良いからって報われるわけじゃないってここ3年くらいで痛感させられたし、だからって性格悪くなろうとすると自分のキャパ超えちゃって迷子になることもわかった。
ちなみに、性格が良いって思われたくて努めてた自分の失敗を3点あげておくと、
①彼氏に別れ話を切り出せず、友達のお母さんに縁切りをしてもらう。
②結構長いこと好きだった人と自分の友達が付き合っちゃう。
③好きな人に「好きだけど邪魔したくないから付き合わなくていいよ」って言っちゃう。
みたいな。
性格良くなろうと努めてた時の自分は嫌われたくなさをガンガン押し出してたと思うし、ウジウジしてた感じだったから良くなかったんだろうなあ。情に流されて人のことばかり見て自分のこと何一つできないような性分だったし。
だけどいつからだろう、周りに興味を示さなくなった。
依存してた場所から放り出された瞬間があったんだけど、ソレが良かったのかもしれないね。
周りに依存しすぎることがなくなった分、対等に接してもらう機会が増えたかもしれないって思う。いつも誰かについて行ってばかりだから、出来るだけ自分で進めるようにならなきゃなあって思う。
友達減ったなあって思う。この1年でいろんな人に愛想つかされたなあって分かるし、離れていくのが分かった。だけど自分の周りには大切な人だけが残ったなって感じるし今の方が幸せだ。
ここ最近、本当に思う。
一度手放したものは元に戻らないし、本当に好きなものや人が必ずしも自分のところに来るとは限らない。不倫だって全然普通の事だしマイナスイメージだけで成り立つものではない。
綺麗事で片付くわけないし、何事も複雑に絡まって1つの事象が起こってるわけでさ。
だからって絶望したくないし諦めたくないし、いちいち大切にしたいなあって思う。
これからもずっと悪女でいいからさ、自分の大切なものは極力自分で守れるようになりたい。
できないことは自分のキャパが足りてないわけだからできないのよ。仕方ないよね。
すっぴん、出来ることなら可愛くなりたい。努力が必要。
「それわかる!」とか、「これどう思う?」とか、「長い」とか、思ったことがあれば、ぜひ教えてください!最後まで読んでくださって、ありがとうございます!
ていうか銭湯が好き
銭湯が好き、ていうか公衆浴場が好き。
(これは心斎橋、あかし湯。3時半まで開いてるよ。)
暖簾をくぐれば別世界。
そこに流れている時間、来た人たちのコミュニケーション、そして「またね、おやすみ」の挨拶。
これが好き。
好きになったきっかけは、大分の別府というところで100円の銭湯を巡ったことだと思う。
超おんせん県の大分の人たちにとってのお風呂といえば、お家のお風呂もだけど、銭湯通いの人たちが多い。
そんな銭湯では、師匠達(常連さん)に出会うことができる。まあそんな感じで。
師匠達の銭湯での過ごし方は実にスムーズで美しい。もう、流れるような所作なのだ。
出しているお湯は必要最小限、そして後ろの人に飛び散らない。
冷たい水風呂に溶け込むように入っていく。(わたしにはできない)
あとひとつベテランの師匠の場合は、銭湯のロッカーにお風呂道具を預けていて、ほとんど手ぶらでくるのだ。
まだまだあるけど。
どれも当たり前の事なのだろうけど、いいなあって思う。
そして親愛なる我が師匠たちにとって銭湯は、お風呂のためだけのものではない。
「あの人元気かな」
「最近来てないよね」
「今日は寒かったね」
ご近所さんと体を洗いながら、近況報告をしているらしい。肩の力抜いて、たわいの無い事話して、そうして「じゃ、またね」と言って帰っていくわけである。
きっとこれは、「狭すぎず、広すぎず」な空間を持つ銭湯ならではのものだと思う。
いくつになっても人とのコミュニケーションを忘れたくないし、銭湯みたいな場所がもっとあってもいいと思う。
ご近所さんとの交流は、薄くなくてもっと濃くてもいいと思う。
「寒くなってきたね、銭湯いこうよ」みたいな会話がもっとあってもいいと思う。
暖簾をくぐれば別世界。
銭湯シーズンは終わらない。
(これは西成、萬盛湯。露天風呂が良い。)
「それわかる!」とか、「これどう思う?」とか、「長い」とか、思ったことがあれば、ぜひ教えてください!最後まで読んでくださって、ありがとうございます!